大判例

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最高裁判所大法廷 昭和47年(あ)1168号 判決

主文

原判決を破棄する。

各被告人の控訴を棄却する。

原審における訴訟費用の三分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

一公職選挙法(以下「公選法」という。)一四六条一項に関する検察官の上告趣意第一点について。

所論は、原判決が公選法一四六条一項において頒布を禁止されている文書は、一選挙区ごとに確定の一人の候補者を当選させるために使用すると認められるものでなければならないとし、各選挙区ごとに社会党、共産党の複数の候補者の氏名を列記してある本件文書を同条項の文書にあたらないと判断したのは、当裁判所昭和四三年(あ)第四八七号同四四年三月一八日第三小法廷判決(刑集二三巻三号一七九頁)及び広島高等裁判所昭和二九年九月七日判決(高裁刑事裁判特報一巻五号二〇三頁)、東京高等裁判所同年三月三〇日判決(高裁刑事判決特報四〇号五七頁)、同裁判所昭和三六年六月六日判決(高刑集一四巻四号二二二頁)と相反する判断をしたものであるというのである。

そこで検討するに、右の当裁判所判例は、同法一四二条一項における「選挙運動のために使用する文書」の意義に関し、「その選挙運動において支持されている候補者(または立候補が予測ないし予定された者)は、一人であることを必要とせず、特定されていれば、複数人であってもさしつかえない」と判示しているにとどまり、同法一四六条一項における「候補者の氏名」を表示する文書の意義につき直接の判示をしているわけではないのみならず、右判例において問題となつた文書は、各選挙区ごとに特定の一人の候補者を表示したものであつて、本件とは事案を異にし、右の各高等裁判所判例も、本件とは事案を異にするから、所論は、適法な上告理由にあたらない。

しかしながら、所論にかんがみ職権で判断するに、同法一四六条一項において頒布が禁止されている候補者の氏名を表示する文書は、特定の候補者の氏名を表示するものであることを要し、かつ、それをもつて足りると解するのが相当であり、一又は二以上の選挙区ごとにそれぞれ複数の候補者の氏名を表示する文書であつても、候補者の氏名が特定されている限り、これに含まれるものと解すべきであるから、原判決の判断は、右法令の解釈を誤るものといわざるをえない。すなわち、同条項において選挙運動における文書の頒布が制限されているのは、文書の頒布により直ちに選挙権者の自由な選択意思が阻害されるためではなく、これを無制限に認めるときは、選挙運動に不当な競争を招くなどの弊害が予想され、ひいては選挙の自由公正が損われるおそれがあるためであり(当裁判所昭和二八年(あ)第三一四七号同三〇年四月六日大法廷判決・刑集九巻四号八一九頁、同昭和四三年(あ)第二二六五号同四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁参照)、この規則目的から判断するときは、支持する候補者が特定され、その選挙運動のために使用される文書と認められる限り、候補者の単複を問わず、同条項によりその頒布が禁止されていると解するのが相当である。同条項において、頒布が禁止される文書につき候補者の氏名等の表示を必要とする旨が規定されているのは、それらの表示を欠く文書は、選挙運動のために使用されるものと認めることができず、その頒布を同法一四二条による文書頒布の禁止を免れる行為として規制する必要がないからであつて、ことさらに一選挙区につき一名の候補者の氏名を記載した場合に限定する趣旨と解すべきではない。このことはまた、同条項において頒布が禁止されている、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し若しくは反対する者の名を表示する文書については、その性質上一人の候補者を支持するものに限られないこととの対比からも理解することができる。同法四六条は、選挙権者が投票をするに際しての被投票者の数を規制することを意味するにすぎず、選挙運動を行う者の行為を規制する同法一四六条一項の解釈に影響を及ぼすものではない。要するに、一又は二以上の選挙区における複数の候補者の氏名を表示する文書であつても、候補者の氏名が特定され、それぞれの候補者の選挙運動のために使用されるものと認められる限り、同条項により頒布が禁止されている文書にあたるものというべきである。そして、このように解しても憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(前記各大法廷判決参照)の趣旨に徴し明らかである。

以上の解釈を第一審判決により認定された本件文書に適用すると、同文書には昭和四〇年七月二三日施行の東京都議会議員選挙に際し日本社会党から立候補した加藤清政ほか五六名及び日本共産党から立候補した近藤信之ほか三五名の氏名が各候補者の選挙区ごとに記載してあり、この文書を読む選挙権者らに対し、各関係選挙区欄に記載されている特定の候補者の当選を得させるための選挙運動を依頼し、また、そのうちの一名に投票を依頼する趣旨であることが明らかであるから、たとえ選挙区ごとに両党候補者全員の氏名が掲げられているとしても、単なる政治活動文書とみるのは相当でなく、公選法一四六条一項にいう文書にあたるものというべきである。

二人事院規則一四―七(以下「規則」という。)五項一号、六項一三号に関する同第一点の二について。

所論は、原判決が規則五項一号にいう「特定の候補者を支持し」という要件は一選挙区ごとに確定の一人の候補者を支持することを意味するものとし、本件文書は候補者が特定されていないので同号の政治的目的を欠き同六項一三号の文書にあたらないと判断したのは、法令の解釈を誤るものであるというのである。

所論にかんがみ職権で判断するに同五項一号にいう「特定の候補者」とは、一選挙区につき確定の一人の候補者のみを意味するものではなく、一又は二以上の選挙区における複数の候補者であつても、特定されている限りこれに含まれるものと解すべきであるから、原判決の判断は、法令の解釈を誤るものというべきである。すなわち、国家公務員法(以下「国公法」という。)一〇二条一項及び規則は、一般職の国家公務員(以下「公務員」という。)の政治的行為が自由に放任されるときは、おのずから公務員の政治的中立性が損われ、ひいては行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼が損われるところから、公務員の政治的中立性を損うおそれのある政治的行為を禁止しているものと解されるところ(当裁判所昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決参照)、公務員が規則五項一号に規定されている選挙において特定の候補者を支持するために同六項各号に規定する政治的行為を行うときは、一般にそれらの選挙が政党その他の党派を代表する候補者の間で争われるものであるため、おのずから公務員の政治的中立性を損うおそれがあるのであるから、同五項一号は、支持する候補者及び選挙区の単複を問わず特定の候補者の支持を規制の対象としているものと解するのが相当である。公務員が、公職の候補者を支持する目的で、その地位を利用して選挙運動をすることは、公選法一三六条の二により禁止されており、同法二三九条の二第二項により処罰されることとなるのであるが、これらは、国公法一〇二条一項と規則による政治的行為の禁止及び同法一一〇条一項一九号による処罰とは異なり、選挙の自由公正を守ることを目的としているものであるし、その違反行為が常に政治的行為の禁止に違反する行為より情状が重いということもできないのであつて、右両罰則の法定刑の軽重は規則の解釈になんら影響を及ぼすものではない。また、一において説示したとおり、公選法一四六条一項にいう候補者は、一人であることを要せず、特定されている限り、一又は二以上の選挙区の複数の候補者であつてもよいと解すべきであり、この条項との対比から規則五項一号にいう特定の候補者を一選挙区につき確定の一人に限定するのは、失当である。

第一審判決の認定によると、公務員である被告ら三名は、いずれも昭和四〇年七月二三日施行の東京都議会議員選挙に際し、日本社会党から立候補した加藤清政ほか五六名及び日本共産党から立候補した近藤信之ほか三五名を支持する政治的目的を有する前記の文書を頒布したというのであつて、国公法一一〇条一項一九号、一〇二条一項、規則五項一号、六項一三号に該当するものと解すべきである。そして、このように解しても憲法二一条、三一条に違反するものでないことは、当裁判所昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決の趣旨に照らし明らかである。

三本件各行為の違法性に関する同第二点の二について。

所論は、原判決が本件各行為に実質的違法性がないとして国公法一一〇条一項一九号及び公選法二四三条五号に該当しないと判断したのは、法令の解釈を誤るものであるというのである。

所論にかんがみ職権で判断するに、たとえ原判決の判示するように、本件各行為が、裁量権のない機械的職務に従事する非管理職の公務員により、その職員団体が日常活動として行つていたいわゆる朝ビラの配布の方法で、主として同団体の日常行動として行う意識でなされたものであり、文書の内容が同団体の候補者推薦決定を記載したものであり、各被告人の配布した文書の枚数が六枚ないし一四枚であり、かつ、同僚に対して配布した場合であつても、右のごとき事情は犯情に影響するにとどまり、国公法一〇二条一項、規則六項一号、六項一三号違反による同法一一〇条一項一九号及び公選法一四六条一項違反による同法二四三条五号の各罪の違法性を失わせる事情となるものということはできず、原判断は、右各法令に違反するものというべきである。また、このように解しても憲法二一条、三一条に違反するものではない(当裁判所昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決参照)。

四以上のいずれの点からみても、原判決は法令に違反しているものというほかなく、右の違反はいずれも判決に影響し、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。よつて、上告趣意中のその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法四一一条一号により原判決を全部破棄し、なお、第一審判決は以上の当裁判所の判断とその結論において一致しこれを維持すべきものであつて、各被告人の控訴は理由がないこととなるから、同法四一三条但書、三九六条によりいずれもこれを棄却し、同法一八一条一項本文により原審の訴訟費用の三分の一ずつを各被告人の負担とし、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の反対意見は、次のとおりである。

一公選法一四六条一項に関する検察官の上告趣意について。

所論のうち、判例違反を主張する点は、所論引用の判例は本件と事案を異にするから、適法な上告理由にあたらない。

しかし、職権で判断すると、公選法一四六条一項において頒布を禁止されている文書は、それが特定の選挙における特定の候補者の当選を得させるためのものであるかぎり、その候補者の数は必ずしも一人であることを要せず、複数の候補者のためにするものであつても差し支えがないと解すべきであり、したがつて、これに反する原判決の解釈には誤りがあるといわなければならないが、このことから直ちに、被告人らの本件所為が右条項に違反し、公選法二四三条五号の罪にあたるとし、これに反する原判決を破棄すべきものとする結論に対しては、以下の理由により賛成することができない。

(一)  原判決の基礎となつている第一審の適法に確定した事実によれば、被告人らの本件所為は、

1 被告人らが、昭和四〇年七月二三日施行の東京都議会議員選挙に際し、被告人らの属する総理府統計局職員組合発行名義の統計局職組教宣ニュースNo.一五〇なるビラを右統計局構内において発庁中の同局職員に配布した。

2 右ビラの表面には、「都議選いよいよ始まる」「=我々の真の代表を選ぼう=」との比較的大きな文字の表題と、これに続いて自由民主党の都政を批判し、投票当日の全員投票を訴え、組合としては同選挙において日本社会党及び日本共産党の支持を決定し、次の候補者を推せんしたことを知らせる旨の記載があつた。

3 更に右ビラの余白に、右選挙において日本社会党から立候補した加藤清政外五六名、日本共産党から立候補した近藤信之外三五名の候補者の氏名が各選挙区ごとに、各政党別に記載されていた。

というものであり、また、右文書に記載された候補者は、伊豆七島については日本共産党から立候補した者のみが記載され、新宿区については同党から立候補した一名の記載が欠けているのを除いては、各選挙区における両党候補者の全員に及んでいることも、適法に確定されているところである。

(二)  右のように、

1 本件文書が一通の文書であつて、登庁する職員に配布されたものであること。

2 本件文書の記載全体の趣旨は、主として、前記組合が東京都議会議員選挙において日本社会党及び日本共産党の候補者を支持する旨決議したことを知らせ、かつ、訴えるにあると認められること。

3 本件文書に掲げられている右両党候補者の氏名は、一部を除いては両党候補者の全員に及んでいること。

の外、

4 右両党候補者の氏名の中には、当該選挙区における議員定数をこえるもの(東京都の各区、八王子市、北多摩郡及び伊豆七島を除くその余の一〇選挙区においては、いずれも定数各一名のところに両党の候補者一名ずつの氏名が記載されている。)も含まれていること。

を総合して観察すると、

本件文書は、これを全体としてみて、そこに掲げられている特定候補者の当選を得させることを目的とする選挙運動のための文書というよりも、むしろ、右選挙において一般的に日本社会党及び日本共産党の両党の支持を訴える政治活動文書で、あたかも抽象的一般的に両党の名のみを掲げてその支持を訴えるにとどまる文書とその性質を異にするものではないと認めるのが相当である。同文書に候補者の氏名が列挙され、同候補者を推せんする旨の記載があつても、それはいわば両党候補者の氏名を周知させるために選挙区ごとに掲げたにとどまるものとみるべく、このことから、特に、具体的にこれら特定候補者の当選を得させるための選挙人らに対する働きかけの一環をなす文書としてこれを性格づけることは、当を得たものということができない。殊に、前記のように当該選挙区の定数をこえる数の候補者の支持を訴えるようなことは、特段の事情のないかぎり、むしろ対立候補者の当選を妨げる目的に出たものか、ないしはこれらの候補者の属する政党を支持応援する活動の一環としてされる行為とみられるのが通常であることを考えると、なおさら右のように認定するのが相当であると考える。

(三)  右のとおりであるから、本件文書は公選法一四六条一項所定の文書にあたるものということができず、これを配布した被告人らの本件所為は同法二四三条五号の罪にあたらない。よつて、被告人らを右事実につき無罪とした原判決は、結局、正当であり、検察官のこの点に関する上告は、その余の判断をするまでもなく、理由がないというべきである。

二規則五項一号、六項一三号に関する検察官の上告趣意について。

職権で考えると、国公法一〇二条一項は、同法一一〇条一項一九号の構成要件を委任する部分に関するかぎり、憲法四一条、一五条一項、一六条、二一条及び三一条に違反し、無効であり、これに反する従来の最高裁判所の判決は変更すべきものであることは、当裁判所昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決における反対意見のとおりである。したがつて、被告人らの本件行為が国公法一一〇条一項一九号、一〇二条一項、規則五項一号、六項一三号に該当するとした第一審判決を破棄し、被告人らを無罪とした原判決は、結論において正当であり、検察官のこの点に関する上告は、その余の判断をするまでもなく、理由がないというべきである。

三以上の理由により、本件上告はこれを棄却すべきものである。

検察官横井大三、同辻辰三郎、同石井春水、同佐藤忠雄、同外村隆公判出席

(村上朝一 関根小郷 藤林益三 岡原昌男 小川信雄 下田武三 岸盛一 天野武一 坂本吉勝 岸上康夫 江里口清雄 大塚喜一郎 高辻正己 吉田豊)(大隅健一郎は、退官のため署名押印することができない)

検察官の上告趣意

目次

第一 序説

一 公訴事実

二 一審判決の要旨

三 原判決の要旨

第二 上告理由

第一点 原判決が候補者の「特定」の意義を確定の一人と限定したことについて

一 公職選挙法一四六条一項についての判例違反

二 公職選挙法一四六条一項についての法令違反

三 国家公務員法一〇二条一項についての法令違反

第二点 原判決が候補者の「特定」の意義を確定の一人と限定すべきではなく、確定の複数者をも含むのが正当であるとした場合においても、本件被告人らの所為は可罰性がないとしたことについて

一 判例違反

二 法令違反

(一) 国家公務員法一〇二条一項、一一〇条一項および人事院規則一四―七の解釈適用(適用の範囲の限定)の誤りについて

(二) 原判決の可罰性に関する判断の誤りについて

1 国家公務員法違反について

2 公職選挙法違反について

第三 結語

第一 序説

一 公訴事実

本件公訴事実の要旨は、「被告人らは、総理府統計局に勤務する一般職の国家公務員であるが、昭和四〇年七月二三日施行の東京都議会議員選挙に際し、日本社会党から立候補した加藤清政ほか五六名、日本共産党から立候補した近藤信之ほか三六名の当選を得しめる目的をもつて、山下宣子ほか数名と共謀のうえ、昭和四〇年七月九日、東京都新宿区若松町九五番地総理府統計局西門、仮門および裏門付近において、公職選挙法一四二条の禁止を免れる行為として『都議選いよいよ始まる我々の真の代表者を選ぼう』と題し『組合としては大工の政治活動の自由、政党支持の自由の原則の上に立つて先の中央執行委員会で社・共両党支持を決定し都議選において次の候補者を推せんしましたのでお知らせします。』として前記各候補者らの氏名と選挙区等を記載した統計職組教宣ニュース三三枚を、総理府統計局職員若槻導雄ほか三二名に配布して頒布するとともに、政治的目的をもつて人事院規則で定める政治的行為をなしたものである。」というのであつて、三名共謀による公職選挙法一四六条所定の脱法文書三三枚の頒布と国家公務員法一〇二条所定の政治的行為制限違反である。

二 一審判決の要旨

東京地方裁判所(刑事第二部)は、昭和四四年七月二五日、右の公訴事実中被告人ら三名相互の間に共謀があつたとする点を排斥し、また、文書の被配布者とされた三三名のうち、二名についての配布については証明が不十分であるとしたが、そのほかの点については検察官の主張を全面的に認容し、次のような事実を認定して被告人ら三名を各罰金刑に処した。

すなわち、

被告人ら三名は、いずれも総理府事務官として東京都新宿区若松町所在の総理府統計局に勤務する一般職の国家公務員であり、それぞれ昭和四〇年七月当時組合員約四〇〇名を有した総理府統計局職員組合に所属したものであるが、被告人ら三名は、それぞれ、昭和四〇年七月八日告示に基づき同年同月二三日施行の東京都議会議員の選挙に際し、日本社会党から立候補した加藤清政ほか五六名、日本共産党から立候補した近藤信之ほか三五名の当選を得しめる目的で、その選挙運動の期間中である昭和四〇年七月九日、前記総理府統計局構内において、公職選挙法第一四二条の禁止を免れる行為として、第一、被告人石井暁子は、右同日午前八時五〇分ごろから同日午前九時七分ごろまでの間、右統計局西門内側付近において、単独もしくは右統計局職員組合書記山下宣子と共謀のうえ、「都議選いよいよ始まる」「我々の真の代表を選ぼう」と題し「組合としては大会の政治活動の自由、政党支持の自由の原則の上に立つて先の中央執行委員会で、社・共両党支持を決定し、都議選において次の候補者を推せんいたしましたのでお知らせいたします。」として、表面の紙面の約半分弱および裏面の約三分の一弱を費やし、上下二段に枠組をしてそれぞれ選挙区、社会党所属の同選挙区立候補者氏名、共産党所属の同様立候補者氏名(記載上は単に社会党、共産党と表示)と区分した欄内に、社会党については千代田区ほか二二の特別区、北多摩郡ほか二郡、八王子ほか八市にわたるその立候補者の全員、共産党については右選挙区のほか伊豆七島を含めた各選挙挙区にわたるほとんどの立候補者(新宿区において立候補した共産党の戸原駿二のみを除く全員)の氏名を表示し、かつ、裏面左下隅に統計職組ニュースNO.一五〇なる記載のあるビラ一一枚をおりから登庁中の同局職員高橋史朗ほか一〇名に対し、それぞれ一枚宛配布し、第二、被告人蓼沼芳子は、右同日午前九時ごろから同日午前九時八分ごろまでの間、右統計局北側の仮門内側付近において、右統計職組教宣ニュースNo.一五〇、六枚をおりから登庁中の同局職員島野誠ほか五名に対し、それぞれ一枚宛配布し、第三、被告人金井まさ江は、前記統計局勤務の職員で右組合所属の氏名不詳の組合員二名ぐらいと共謀のうえ、同日午前八時四五分ごろから同日午前九時一〇分ごろまでの間、右統計局南側の裏門内側の裏門内側付近において、右統計職組教宣ニュースNo.一五〇、一四枚をおりから登庁中の同局職員須永梅吉ほか一三名に対し、それぞれ一枚宛配布し、もつてこれを頒布するとともに、政治的目的を有する右のような統計局職員組合発行名義の文書をそれぞれ配布することによつて、人事院規則で定める政治的行為をしたものである。

そして、同判決は弁護人らの主張に対する判断として、以下のように説示している。

(一) 本件教宣ニュースNo.一五〇の頒布は、統計局職員組合が、その中央執行委員会において決定した社・共両党全候補者推薦のことを組合員に知らせるため、従来から行なつてきた通例の方法によりこれを伝達しただけのことであつて、組合の正当な内部的選挙活動に属するから、適法な行為であり、無罪である。かりにそうでないとしても、被告人らには公職選挙法一四二条の禁止を免れる行為としてこれをする認識のなかつたことはもちろん、違法の認識もなかつたから無罪であるとの主張に対し、本件教宣ニュースNo.一五〇の配布が職員組合としては通例の意思表示の方法によつたものであることは否定できないが、教宣ニュースを相手が組合員であると否とを問わず無差別に配布した理由が、職員組合の主張を組合員でない者にも伝えて、その支持を獲得し、ひいては職員組合の勢力を伸張しようとの意図に出ていることは明白であり実際問題としても、本件当時に例をとつてみても、職員組合の組合員数が約四〇〇名であつたのに対し、教宣ニュースはその都度一、八〇〇枚くらい印刷され、その大部分を配布し終わるのが例であつたことにかんがみると、組合員でない者に対する宣伝の意味の方がむしろ強かつたともみられるくらいであつて、それの配布が通例の方法であるとはいつても、組合員のみに対するものではなく、組合員および組合員でない者の双方に対する意思表示の通例の方法であつたことは否定できず、教宣ニュースNo.一五〇は、その配布の時期、配布の相手方、体裁、内容等を勘案して考察すれば、組合員および組合員でない者の双方に対し、それらの者に対する従前からの意思表示の方法である教宣ニュースの形式をとり、内容的には中央執行委員会の決定の伝達と表示し、これに記載された社・共両党の候補者に投票方を暗に依頼しようようする文書としての任務を持たせる文書であると認めるのが相当であり、被告人らはその内容、意義を理解しながらこれが配布の任にあつたと認められるから、これが選挙運動であるとしても組合に容認されている組合内部の活動にすぎないとする所論はもちろんのこと、その余の主張もいれることはできない。

(二) 公職選挙法第一四六条第一項、第二四三条第五号の各規定は憲法第二一条に違反する無効な規定であるとの主張に対し、文書の頒布を自由にした場合に生ずると考えられる弊害は軽視しがたいものがあり、かつ、目行法の下にあつても、文書活動が全く禁止されているわけではなく、立候補者の人物、政見等を有権者に伝達する方法が一応は用意されていること、なお、第一四六条に限つてこれをいえば、同条による制限は選挙運動期間中だけのものであること等諸般の事情を考え合わせてみると、公職選挙法第一四二条、第一四六条第一項による文書の頒布の規制は、これを規制することにつき合理的な理由があるというに妨げはなく、その規制に違反する者に対し同法第二四三条第五項をもつて刑罰の制裁を科することとしていることをも含めて、その規制の仕方が必要最小限度の範囲を越えているということも、にわかには首肯できない。

(三) 国家公務員法第一〇二条、人事院規則一四―七の定める制限はあまりにも包括的、全面的、一律的であり、この立法をささえる社会的事実もないから、憲法第二一条、第二八条、第一三条、第一四条に違反する無効な規定である。仮に、国家公務員法第一〇二条、第一一〇条第一項第一九号、人事院規則一四―七が合憲的に適用される場合があるとしても、本件被告人らは、いずれも非管理職の現業公務員で、その職務内容は裁量の余地の全くない機械的労務の提供にとどまる者であり、勤務時間外にその職務を利用することなく、かつ、公正を害する意図なくして政治活動をした場合であるから、これに対して前記各法条、規則を適用することは、その合憲的範囲内の適用とはいえない、また、本件被告人らの所為は、公務員の労働組合がその目的を十分に達成するための手段として特定の候補者を推せんするという機関決定事項を通常の方法により伝達したものにほかならず、労働組合が本来正当になすことができる行為の範囲に属し、結果的にも、国民に対するサービスを害した事実もないのであるから、実質的違法性を欠き、刑法第三五条により処罰することができないものであるとの主張に対し、労働組合については、その本来の目的を達成するための手段として、その目的達成に必要な政治活動や社会活動を行なうことを妨げられるものではないところ、国家公務員も、国家公務員としての生活のほかに一市民としての生活を有し、一市民としての生活利益の追及は認められねばならず、これを選挙に即していえば、自分の利益に合致する候補者を当選させることについて利害関係を有するものとしなければならないのであつて、国家公務員の組合であるからといつて、本件で問題となつた東京都議会議員選挙につき組合が選挙活動をする利益を有することは否定できないが、私企業の組合について容認される選挙活動であつても、それが国家公務員またはその組合についても容認されることであるか否かは、別途に検討を要する問題である。憲法第一五条第二項後段にいう「一部の奉仕者ではない」という規定は公務員の中立性を宣したもので、公務員がその職務を執行するにあたつて、一党一派のためにその地位、権限を利用して、法律その他によつて定められている基準を越えてその利益を図ることおよび政治活動としては、公務員として特定の政党または特定の候補者のために選挙活動をすることが、右の中立性に反する代表的なものといえるところ、本件で具体的に問題になつているのは特定の政党または特定の候補者のための選挙活動であり、公務員が特定の政党または特定の候補者のために選挙活動をすることを放任した場合に生ずる弊害として考えられるものは一ではないとしても、その中で最も重視すべきものは、一般国民に対し、行政官庁の公正な運営について一般的に不安、不信、疑惑をいだかせるに至ることであり、その弊害を避けるために憲法第一五条第二項の規定よる要請として憲法第二一条の保障する表現の自由にある程度の規制を加えることは、合理的な理由のないことではないところ、総理府統計局は、要するに国その他地方公共団体等の施策樹立の基礎となる統計の仕事を管掌するところであつて、一般国民の側がそれに期待するところのものは客観的真実を伝える統計であり、客観性、中立性を要請されている行政官庁であるというに妨げはなく、そこに勤務する公務員が特定の政党または特定の候補者のために選挙活動をすることは、一般国民の側に上述の意味における不安、不信等をいだかせるに足りる官庁である。本件被告人らはいずれも総理府事務官であり、担当職務は、いずれも細部のことまで規定した事務手続に従い、疑義のあることについては係長その他の上司の判断に依拠し、むしろ機械的に行なわれる性質の事務であつて、裁量権限のあるものとは認められず、また、判示文書を配布したのは、午前九時一〇分までの時差出勤時間帯および出勤簿整理時間帯であつて、執務時間中ではなかつたことは認められるが、いずれも出勤簿に出勤の捺印をした後であり、配布の場所は各門の内側、その構内であつたのであるから、被告人らの所属する職員組合の行為としてしたことであつても、合憲的に国家公務員法第一〇二条違反の行為としての評価を受けることを免れないものと考える。

三 原判決の要旨

右の一審判決に対し、被告人らから控訴の申立てがなされたが、東京高等裁判所(第一刑事部)は、昭和四七年四月五日被告人、弁護人らの控訴趣意をすべて排斥しながら、職権をもつて次のような法律判断をなして一審の有罪判決を破棄し、被告人ら三名に無罪を言い渡した。

すなわち、

(一) 公職選挙法一四六条一項にいう文書の頒布は、当該文書の使用の形態等を総合判断して、選挙運動のために使用するものと認められる場合でなければならないと解されるところ、公職選挙法では選挙はいわゆる単記投票の方式をとつており、投票は確定の一人の候補者に向けられているのであるから、選挙運動にいう特定の候補者を当選させるためということも、確定の一人の候補者の当選目的を意味するのであつて、複数の候補者の当選目的ということは、選択的に多数の候補者の中から確定の一人に一票を求めるという選挙運動の本義に添わないものである。

このように解することは、選挙の実態にも即するし、公職選挙法の目的にも添うものと考える。けだし、選挙運動はもとより政治活動の一形態であり、憲法二一条の保障する表現の自由の政治面における最も普遍的な行為現象であるから、その解釈は厳格になされるべきであり、公職選挙法に定める選挙運動のため使用する文書の頒布等の制限規定についていえば、その制限目的は経済的事由と選挙の公正を理由とするものであろうが、紙に関する経済的理由は現今その意味を失い、選挙費用の平等等の問題は選挙費用額の制限をもつてまかないうることであるから、本来自由であるべき個人の政治運動の制限としては、選挙の公正すなわち選挙人の自由な意思の表明を阻害するか否かにかかるといえるのであるが、自由意思の阻害は確定の一人の候補者の当選目的の場合にこそその意味があり、確定はしていても複数の候補者を選択的に推薦する場合は、自由な選挙意思の拘束、阻害として刑罰をもつて臨むべき行為とは解せられない。

本件文書は、東京都議会議員の選挙に際し、革新政党の候補者を推薦し、各選挙区ごとに社会党、共産党の複数候補者の氏名を列挙したもので、その内容は革新候補者らの推薦であり、確定の一人の候補者の当選を得させることを目的とするものとは認められず、その配布行為等から綜合判断しても、その目的を確定の一人の当選に限定すべき特段の事情は見当たらないから、選挙運動のために使用する文書の頒布の禁止を免れる行為とは認められない。被告人らの本件文書の頒布は公職選挙法一四六条一項に違反しない。

(二) 次に、人事院規則一四―七、五項一号は、政治的目的として、同規則一四―五に定める公選による公職の選挙において、特定の候補者を支持し又はこれに反対することと定めているが、ここにいう特定の意義も前記選挙運動に関して判示したように確定の一人を意味するものと解する。けだし政治的目的一般としては、特定の意味を確定の複数者とも解しうる余地はあるが、本号の目的は正に公職選挙法一三六条の二において公務員の選挙運動とみなされるものであり、また行為の内容においても同法条二項四号に定めるものは、公務員の地位利用を要件としてはいるが、人事院規則一四―七、六項一三号に定める政治的行為と等しい。しかして、その違反に対する法定刑は、公職選挙法においては二年以下の禁錮または三万円以下の罰金であり、国家公務員法違反において三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金であつて、もとより各法の立法目的は異なるであろうが、行為の目的、内容を同じくする二者については、刑の均衡の面からいつても後者において定める特定の意義を前者において定める意味よりも広義に解すべきではない。それゆえ、本件文書は候補者の特定性を欠き政治的目的を有する文書にあたらない。

(三) ところで、仮に前記特定の意義を確定の一人と限定すべではなく、確定の複数者をも含むと解するのが正当であるとして、さらに本件被告人らの所為の可罰性について考察するに、まず、国家公務員法違反の点から案ずるに、国家公務員が他の公務員と異なり政治的目的を有する政治的行為を処罰されることは合理的な理由があることではあろうが、この点に関し一応政治的目的、政治的行為という二重の枠はめはしているにせよ、いわば一般的禁止を規定する国家公務員法、人事院規則の法条は憲法二一条の定める言論の自由の立場から合憲的に解釈されねばならないのであつて、この観点からすれば国家公務員の処罰の対象となる政治的行為は、それが国家公務員としての立場換言すれば国家公務員の地位に基づく行為でなければならない。けだし、一私人としての行為まで国家公務員であるがゆえに処罰されなければならない理由はない。国家公務員の地位に基づく行為であるか否かは、広く行政の中立性の立場から、行為の主体すなわち行為者の職務が、裁量権ある管理職の地位にある者であるか否か、行為の態様は勤務時間内か否か、勤務庁施設の内か外か、行為の内容が公務員の地位又は職務に関連するか否か等により客観的に判断されるべきであり、非管理職の公務員の勤務時間外、勤務庁施設外の、公務員の地位又は職務に関連性のない行為は、たとえ政治的目的を有する政治的行為であつても、国家公務員法の定める政治的行為の禁止に違反しない。このように解することは、同法条の合憲性を判示する最高裁判所の判例(昭和三三年三月一二日、同年四月一六日各大法廷判決、刑集一二巻三号五〇一頁、同六号九四二頁参照)の趣旨に反するものではなく同法の目的、立言に矛盾するものでもない。むしろ、人事院規則一四―七、四項が勤務時間外の行為をも処罰の対象とし、同一四―七、六項一号に、職名、職権またはその他の公私の影響力利用を政治的行為として掲げていること、前出の公職選挙法一三六条の二が公務員の地位利用という合理的な理由により選挙運動として政治活動を制約していることおよび国家公務員法の罰則の法定刑の重いこと等の反面解釈から非管理職の公務員の地位に基づかない行為を除外する趣旨であることが窺われる。

本件において被告人らの所為は、原判決も認定するように、行為の態様として勤務時間に近接し、勤務庁施設内の行為であり、この限りにおいて公務員の立場に基づく行為といわざるをえないのであるが、行為の主体の面からいえば、被告人石井は統計官の地位にあつたとはいえ、その職務内容は他の被告人とともに裁量権のない機械的職務に従事する非管理職と見るべきものであり、行為の態様としては、組合の候補者推薦決定を内容とする文書の配布であつて、その方法は組合の日常活動としてとられていたいわゆる朝ビラの配布であるからたまたまその行為が形式上政治的行為に該当するにせよ、組合活動に随伴する行為として違法性は低いのみならず、原審認定結果も被告人石井は一一枚、同蓼沼は六枚、同金井は一四枚の各同僚に対する配布であり、被告人らの主観においても割りてられた組合の日常行動としての意識が主潮をなすもので、違法性の認識において軽度のものというべきであるから、以上を総合すれば被告人らの所為は社会生活上行為の通常性を有するものであつて、実質的違法性を欠き、刑罰をもつて処断するに値する行為とは認められず、結局被告人らの所為は国家公務員法一一〇条一項一九号にあたらない。

しかして、この理は、被告人らの所為の公職選挙法二四三条五号該当性についても妥当し、たまたま被告人らの所為が形式上公職選挙法一四六条一項違反に該当するにせよ、その行為の態様、被告人らの主観において行為の通常性を有し、実質的違法性を欠き、被告人らの所為は公職選挙法二四三条五号に該当しない。

してみれば、以上いずれの面からみても本件は罪とならない。

というのである。

しかしながら、右の原判決は以下詳述するとおり、最高裁判所ならびに高等裁判所の判例と相反する判断をし、また、国家公務員、公職選挙法および刑法の解釈適用に重大な誤りを犯しているのであつて、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであり、かつ、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、とうてい破棄を免れないものと考える。

第二上告理由

第一点 原判決が候補者の「特定」の意義を確定の一人と限定したことについて

まず、原判決は、選挙運動の意義における特定の候補者を当選させる目的とは、確定の一人の候補者に向けられたものでなければならず、確定はしていても複数の候補者の当選目的ということは選挙運動の本義にそわないと前提したうえ、本件文書は「各選挙区毎に社会党・共産党の複数候補者の氏名を列記したものである。その内容は革新候補者らの推薦であり、確定の一人の候補者の当選を得させることを目的とするものとは認められない。その配布行為等から綜合判断しても、その目的を確定の一人の当選に限定すべき特段の事情は見当らないのであつて、選挙運動のため使用する文書の頒布の禁止を免れる行為とは認められないのである」として、本件に公職選挙法一四六条一項を適用しなかつたのであるが、原判決が選挙運動における特定候補者の当選目的について、確定の一人の候補者に向けられたものでなければならないと解した点は最高裁判所ならびに高等裁判所の判例と相反する判断をしたばかりでなく、同法一四六条一項の解釈適用を誤つたものであり、また、原判決は、国家公務員法一〇二条一項に基づく人事院規則一四―七、五項一号にいう「特定の候補者を支持」するとは、右の選挙運動の場合と同じく、確定の一人を支持すると解すべきであるから本件文書は候補者の特定性を欠き政治的目的を有する文書に当らないとしたのであるが、候補者の特定を確定の一人と解した点において右人事院規則の解釈を誤り国家公務員法の右法条を適用しなかつた法令違反があつて、各公職選挙法および国家公務員法違反の点については、その違反が判決に影響することが明らかで原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。

一 公職選挙法一四六条一項についての判例違反

原判決は公職選挙法にいう選挙運動の意義について、通説・判例と同じく「特定の選挙につき、特定の議員候補者を当選させるため投票を得又は得させるに付き、直接又は間接に必要且つ有利な周旋・勧誘・若しくは誘導その他諸般の行為をすること」と解しながら、前記のとおりこの場合「特定の議員候補者を当選させるため」とは、確定の一人の候補者を当選させるためと解すべきであるとしたのであるが、これは左記最高裁判所ならびに高等裁判所の判例と相反する判断をしたものである。

昭和三三年(あ)第四八七号同四四年三月一八日最高裁判所第三小法廷判決(刑集二三巻三号一七九頁)は、本件と同じ昭和四〇年七月二三日施行の東京都議会議員選挙に際し、被告人が野村正太郎を含む予定候補者二九名の氏名・年令・現職・選挙区を記載した「日本共産党東京都議会議員選挙予定立候補者一覧」と題する文書を頒布した事案について「その選挙運動において支持されている候補者(または立候補が予測ないし予定された者)は、一人であることを必要とせず、特定されていれば複数人であつてもさしつかえない」と判示している。

この判決に対して原判決は「事案は確定の一人の候補者に当選を得させる目的があることを認定しているのであり、文書の内容も同一政党の各選挙区における各確定の一人の候補者の集計が複数であるというに過ぎないものと推測されるのであつて、本件のように各選挙区毎に複数政党の複数候補者のある場合にまで特定の候補者といい得るかを直ちに決し得る先例とは考えられない。」と述べている。

なるほど、この判決により被告人の上告が棄却されて確定した二審判決認定の事実は、被告人が板橋区から立候補した野村正太郎一人に当選を得させる目的で、法定外文書を頒布したことであるが、それは公訴事実が本件文書に掲げられた候補者二九名のうちの一人の選挙運動用文書である面を訴因として掲げてあるため、裁判所がそれに拘束された結果にすぎないのであり、また、本件文書の内容が、各選挙区における各確定の一人の候補者の集計が複数であるにすぎないという原判決の指摘は原判決もいうとおり推測にすぎないので、これをもつてこの判決の先例性を否定するのは適当でない。

また、仮に、本件文書が各選挙区における各確定の一人の候補者を掲げているものとしても、最高裁判所がこれを前提としながら、あえて判示のごとく、一般的、抽象的に「その選挙運動において支持されている候補者(または立候補が予測ないし予定された者)は、一人であることを必要とせず、特定されていれば、複数人であつてもさしつかえない」と立言したことは、一選挙区複数の候補者を支持する場合であつても選挙運動たりうるとする趣旨に出たものと解すべく、判旨を各選挙区における確定の一人の集計が複数の場合のみをさすと解すべき謂われはない。

したがつて、原判決が最高裁判所の判例と相反する判断をしたことは明らかである。

そして右の最高裁判所の判断は、また、高等裁判所の判例とするところである。

1 昭和二九年(う)第三〇九号同年九月七日広島高等裁判所第一部判決(高等裁判所刑事裁判特報一巻五号二〇三頁)は、「被告人両名が頒布したビラは、昭和二九年二月二日施行された光市議会議員補欠選挙に際し、日本共産党山口県光市委員会が、山本武善、白井清及び守田スミエの三人の候補者を適格者として推薦支持するから、全市民の票を右三人に投じるようにという趣旨を記載した文書であつて、明らかに選挙運動のために使用する文書と認めることができる」として、被告人らを公職選挙法一四二条一項に問擬しているのであるが、この判決は全市一区の光市議会議員補欠選挙に際して、まさに複数候補者の当選を目的とする場合に、選挙運動たることを認めたものである。

2 昭和二八年(う)第三八七〇号同二九年三月二〇日、東京高等裁判所第一刑事部判決(高等裁判所刑事判決特報四〇号五七頁)は、被告人らが昭和二七年一〇月一日施行の衆議院議員総選挙に際し、新潟県第三選挙区から立候補した候補者田中角栄・同大野市郎の選挙運動者から右両候補者に当選を得しめる目的で選挙運動の依頼を受け、その報酬等として金円の供与を受けた事案について「単に候補者を特定しないで莫然と自由党所属立候補者全員の当選を期するため有効適切な選挙運動を依頼し、その目的のために党活動資金の授受がなされた場合の如きは、場合により公職選挙法第二百二十一条第一項第一号又は第四号等の犯罪を構成しないことあるは洵に所論のとおりであるが、本件においては定員五名の新潟県第三選挙区において孰れも特定の自由党所属の立候補者である田中角栄・大野市郎両名の当選を得るための選挙運動をすることの依頼を受け、その報酬並びに投票取纒資金の授受であることは原判決が認定したところであるから、右法条違反罪の成立するや勿論である」とし、更に進んで「仮に右選挙において右第三選挙区においては自由党の立候補者は右両名の他に亘四郎があり、同人を含めて自由党候補者三名全員のための選挙運動であつたとしても、右の昭和二十七年十月一日施行の衆議院議員選挙における新潟県第三選挙区における右三名の候補者と限定され、その選挙運動である以上前記法条に該当する選挙運動であること論を俟たないところであつて、原判決が右候補者三名のための選挙運動を前記二名と誤認したとしても直接被告人等の刑責にも犯情にも何ら影響がない」と判示している。

この判決は、買収事犯に関し、選挙運動における候補者の特定は、限定されていれば複数であつても差支えないとするものであつて、選挙運動の意義を、候補者の特定に関して文書違反の場合と買収事犯の場合とで別異に解すべき理由はないから本件について先例となる判決である。

3 昭和三五年(う)第二六二四号同三六年六月六日東京高等裁判所第八刑事部判決(刑集一四巻四号一二二頁)は「同時に施行された都道府県知事選挙および都道府県議会議員の選挙に際し頒布した『明日(二十三日)投票日、お金が勝つか組織が勝つか!! 貴重な一票は革新候補で有効に!!』と題した知事選挙の候補者として東京都知事候補者有田八郎および神奈川県知事候補者兼子秀夫の各氏名を記載し、次に県会・都会議員候補として相模原市佐藤平仁・町田市森山三郎・八王子市三浦八郎その他横浜市各区および神奈川県下各市郡のいわゆる革新候補として候補者二二名の氏名を列記し印刷した全駐労相模支部名義の書面はこれを受取つた者の住所地を選挙区とする候補者中右文書に記載されている特定の候補者に投票することを慫慂した選挙運動のために使用する文書というべきである」としている。

この判決に対しても、原判決は、前記最高裁判所の判決に対すると同じく「これ亦各選挙区毎に確定の一人の氏名を列記したものと推測され本件に適切でない」としており、この記録は既に一審裁判所に返戻された後、保存期間を過ぎため廃棄されていて文書の内容を明確にできないが、本件選挙は、昭和三四年四月二三日施行の地方選挙であるから、昭和三五年三月一日神奈川県選挙管理委員会発行の「昭和三四年四月地方選挙の記録」と題する文書を見ると、右選挙における神奈川県下の選挙区数は二八、当時一般に革新政党とされていた社会党・共産党に所属する候補者は合計三六名が二一選挙区で立候補しているところ、判示によれば、本件全駐労相模支部名義の文書には相模原市選挙区から立候補した佐藤平仁外二二名の革新候補者の氏名が列記されていたのであるから、社会党・共産党の候補者が立候補した二一選挙区(うち二つの選挙区においては社会党・共産党の双方から立候補している)のうち、一部の選挙区においては本件文書掲記の候補者が複数となつているはずであつて、原判決の前記推測は根拠がないといわなければならない。

以上に掲げた最高裁判所の判例ならびに高等裁判所の判例は、いずれも選挙運動の意義における特定の候補者を当選させる目的とは確定の一人の候補者の当選目的に限らず特定されていれば複数候補者の当選目的であつてもさしつかえないとするものである。

してみると本件被告人らの頒布した文書は、東京都議会議員選挙に際して、各選挙区における日本社会党・日本共産党の立候補者複数を列記したものであつても、それは特定されているのであるから被告人らがこれらの候補者を当選させる目的で右文書を頒布した以上、公職選挙法一四六条一項に該当することは明らかであつて、これを認めなかつた原判決は最高裁判所ならびに高等裁判所の判例と相反する判断をしたものであると思料する。

二 公職選挙法一四六条一項についての法令違反

原判決は、前記のとおり選挙運動の意義における特定の候補者を当選させる目的とは、確定の一人の候補者の当選目的と解し、本件に公職選挙法一四六条一項を適用しなかつたが、これは、右法条の解釈適用を誤つたものである。

1 原判決は、候補者の特定を右の如く解する理由として、まず選挙における投票がいわゆる単記投票の方式をとつていることを挙げ、「投票は確定の一人の候補者に向けられているのであるから選挙運動にいう特定の議員候補者を当選させるためということも確定の一人の候補者の当選目的を意味するのであつて、複数の候補者の当選目的ということは、選択的に多数の中から確定の一人に一票を求めるという選挙運動の本義に添わないものである」として「このように解することは選挙の実態にも即するし、公職選挙法の目的にも添うものと考える」と述べている。

なるほど、公職選挙法三五条は選挙は投票により行なうとし、三六条は投票は各選挙につき一人一票に限るとしているが、これは、選挙人が現実に投票する時点において一人の候補者しか選択して投票できないというにとどまるのであつて、単記投票の制度から直ちに選挙運動においてその当選を目的とする特定の候補者者が確定の一人でなければならないと結論されるものではなく、終戦直後、昭和二〇年法律四二号により衆議院議員選挙法が改正され、昭和二一年二月施行された衆議院議員総選挙においては、連記投票制が実施されたが、この選挙の際にも、選挙運動の意義が特に変更されたものとは認められないのである。

なぜならば、当選を得させようとする候補者が複数であつても、他に対立する候補者が存在する限り、当該特定の複数候補者のいずれかへの投票を依頼することは、当該候補者にとつては「投票を得、又は得させるに付き、直接又は間接に必要且つ有利な行為」にほかならないからである。

全国区参議院議員選挙に際し、同一政党から多数の者が立候補することは選挙の都度見られることであるが、この場合、これら複数の候補者を当選させるために行なう選挙運動が、公職選挙法上の選挙運動にあたらないという結論には何人も賛同するところではなく、原判決の結論は選挙の実態にも即していないものといわざるを得ない。

また、原判決は、原判決のように解することは公職選挙法の目的にもそうものであると述べているが、公職選挙法の目的は同法一条に掲げるとおり、「その選挙が公明且つ適正に行われることを確保」することにある。そこで、一例として前記昭和二九年三月三〇日東京高等裁判所判決の事案を考えてみるに、右事実は前記のとおり、被告人らが新潟県第三区から立候補した特定の二名の候補者のため選挙運動をしていた者から、在両候補者を当選させる目的で選挙運動を依頼され、その報酬等として金円の供与を受けた事案であるが、この場合新潟県第三区は定員五名であつて、右両候補者のほかにも候補者が存在するからこそ、右両候補者を当選させる目的で本件買収行為が行なわれたわけであるのに、選挙運動の意義を原判決の如く解する限り、本件買収、被買収罪は、成立しないことになる。買収罪におけるこの結論は、選挙の公明適正という前記公職選挙法の目的にそうものとはとうてい解し得ないところであり、この理は文書違反についても全く同様といわざるを得ない。

なお、選挙運動の意義における候補者の特定について確定の一人に限らないとするのは、前記判例のみならず、学説(美濃部達吉選挙罰則の研究五五頁、総合判例研究叢書浦辺衛外一名刑法(23)一一七頁、自治省選挙部公職選挙法逐条解説五五八頁等)も認めるところである。

2 次に原判決は選挙運動にいう特定の候補者を確定の一人と解する理由として「選挙運動はもとより政治運動の一形態であり、憲法二一条の保障する表現の自由の政治面における最も普遍的な行為現象であるから、その解釈は厳格になさるべきであり、公職選挙法の定める選挙運動のため使用する文書の頒布等の制限規定についていえば、その制限目的は経済的事由と選挙の公正を理由とするものであろうが、紙に関する経済的理由は現今その意味を失い、選挙費用の平等等の問題は、選挙費用額の制限をもつて賄い得ることであるから、本来自由であるべき個人の政治運動の制限としては選挙の公正即ち選挙人の自由な意思の表明を阻害するか否かにかかるといえるのであるが、自由意思の阻害は確定の一人の候補者の当選目的の場合にこそその意味があり、確定はしていても複数の候補者を選択的に推薦する場合は、自由な選挙意思の拘束、阻害として刑罰を臨むべき行為とは解せらなれいのである」と述べている。

しかしながら、表現の自由のうち、政治的自由、就中、選挙運動の自由は選挙運動の性質上、かなり厳しい法律的規制が許されるべきものと考える。なぜならば、選挙運動は比較的短期間に多数の人々の関与の下に政治家の政治生命をかけて政党の盛衰をかけて激しく行なわれるものであるため、極めて公正に行なわれなければならないものであつて、公正を阻害する行為はもちろん、公正を疑わせる行為も極力避けなければならないのであるから、原判決の如く一般の表現の自由と選挙運動の自由とを同列に並べることはできない。

そこで、次に、公職選挙法が文書頒布の制限を規定している目的を検討してみるに、原判決は文書頒布制限の目的として紙に関する経済的理由を掲げ自らこれを排斥しているが、選挙法規において文書頒布の制限規定が初めておかれたのは、紙その他の物資が欠乏した終戦後ではなく、既に昭和九年法律四九号による衆議院議員選挙法改正の際、その九八条の二として「何人ト雖モ第百四十条第四項ノ文書ヲ発行スル区域(注、地方長官が選挙公報を発行する区域―原則として選挙区)ニ関シテハ演説会告知ノ為ニスル文書及ビ第九十六条第一項但書ノ規定ニ依ル推薦状ヲ除クノ外選挙運動ノ為文書図画ヲ頒布スルコトヲ得ズ但シ第百四十条第一項ノ規定ニ依リ通常郵便物ヲ差出ス場合ハ此ノ限ニ在ラズ」という規定が設けられた時であり、その時以来、今日まで文書制限が継続していることに徴すれば、経済的理由が文書制限の本来の目的とは解されず、原判決のこの部分の指摘は的を外れているといわなければならない。

次に原判決は、選挙費用の平等等の問題は選挙費用額の制限をもつて賄い得るとしているが、この指摘もまた納得できない。なぜならば、一般的に現行の法定選挙費用の制限をもつて選挙に要する費用のすべてを規制することは不可能であり、そういう制度にもなつていないからである。

さらに、原判決は、文書頒布制限の唯一の目的を選挙人の自由な意思の表明、いいかえれば選択の自由を阻害しないことにあるとしているようである。公職選挙法上、文書頒布罪においては被頒布者の資格を制限していないし、また、これを制限すべき何らの理由もないから、被頒布者は必ずしも、選挙人に限らず、何人に頒布しても本罪が成立すること(昭和二六年三月一〇日福岡高等裁判所判決高等裁判所刑事判決特報一九号七頁、昭和二八年三月二六日札幌高等裁判所判決同特報三二号一一頁、昭和三一年一二月一七日東京高等裁判所判決東京高等裁判所判決時報七巻一二号刑四七四頁、昭和三五年二月四日大阪高等裁判所判決大阪高等裁判所刑事判決速報昭和三五年三号一二頁)からしてみると、文書頒布制限の直接の目的が選挙人の選択の自由を阻害しないことにあるとは考えられない。また、文書頒布をふくむ選挙運動が直接間接に選挙人の選択の自由に影響を与えるものであるとしても、原判決のいう如く選挙運動の目的とする候補者が一人であるか複数人であるかによつて、選挙運動制限違反に対する処罰価値が左右されるものではなく、たかだか選挙人の選択の自由に対する影響の程度に差異を生ずるにすぎない。もつとも選挙運動の目的とする候補者が立候補者のほとんど全員に及ぶがごとき場合は別であつて、この場合には選挙運動それ自体がなかつたものと見るべきである(昭和三七年二月一日最高裁判所判決刑集一六巻二号四三頁参照)。この理は立候補者五名中同一政党所属の三名全員のための選挙運動であつても公職選挙法の規制の対象たる選挙運動に該当するとした前記昭和二九年三月三〇日東京高等裁判所判決の認めるところである。

以上述べたとおり原判決が公職選挙法における文書頒布制限の目的として掲げるところは、いずれも根拠のないものである。公職選挙法が文書頒布を制限する真の目的は昭和三〇年四月六日最高裁判所大法廷判決(刑集九巻四号八一九頁)や本件の一審判決が指摘するとおり選挙運動における不当競争の防止にあるというべく、本件の一審判決が、さらに、これを敷衍して、文書図画の無制限の頒布等を許すときは「必要以上の競争を招いて多額の出費を要することになり、資金のある者でなければ立候補することができなくなるとか、資金のある者ほど有利になるとかの弊害、さらには、とくに、選挙運動期間中他候補者を非難中傷する内容の署名もしくは無署名の文書が横行し他候補者に対し回復することができないような損害を与える弊害を生ずることは容易に考えられることであつて、これらの弊害は到底軽視することを許さない程度のものといわざるを得ない」と述べているのは、まことにもつて肯綮にあたるというべく、文書頒布制限の目的を右の如く解するにおいてはその選挙運動が一人の候補者の当選を目的とするか複数候補者の当選を目的とするかは重要なことではない。

してみると選挙運動における特定の候補者とは確定の一人を意味するとした原判決は、公職選挙法一四六条一項の解釈を誤り本件に同条を適用しなかつた法令違反があるものと思料する。

三 国家公務員一〇二条一項についての法令違反

原判決は、人事院規則一四―七、五項一号の「特定の候補者を支持し」とは、選挙運動の場合と同じく、確定の一人の候補者を支持することと解し、本件文書は候補者の特定性を欠き政治的目的を有する文書に当たらないとしたのであるが、これは右人事院規則の解釈を誤り、従つて国家公務員法一〇二条一項の解釈適用を誤つたものである。

人事院規則一四―七、五項一号にいう特定の候補者とは確定の一人に限らず複数の候補者をも含むものである。その理由は、昭和三三年三月一二日最高裁判所大法廷判決(刑集一二巻三号五〇一頁)や本件一審判決が指摘するように、右人事院規則による規制の目的が公務員の政治的中立性の確保にあるからであり、また、本件の一審判決が述べているところの「公務員が特定の政党または特定の候補者のために選挙運動をすることを放任した場合に生ずる弊害として考えられるものは一ではないとしても、その中で最も重視すべきものは一般国民に対し行政官庁の公正な運営について一般的に不安・不信・疑惑を抱かせるに至ること」も、その特定の候補者の数の単複に拘らないからである。さらに、政治活動を本来の目的とし、選挙に際しては、通常、それに所属する複数候補者を支持・推薦すると認められる政党その他の政治団体ですら、選挙期間中はビラの頒布を含めて政治活動に厳重な規制を受けているのであるから(公職選挙法二〇一条の五以下)、まして政治的中立性を要求される国家公務員について複数候補者の支持を理由に文書活動が無制限に許されてよい謂われはない。

原判決が人事院規則一四―七、五項一号にいう特定の候補者の意義を前記の如く解する理由として掲げるところを見るに「政治的目的一般としては特定の意味を確定の複数者と解し得る余地はあるが、本号の目的は正に公職選挙法一三六条の二において公務員の選挙運動とみなされるものであり、又、行為の内容においても同法条二項四号に定めるものは、公務員の地位利用を要件としてはいるが、人事院規則一四―七、六項一三号に定める政治的行為と等しい。しかして、その違反に対する法定刑は公職選挙法においては二年以下の禁錮又は三万円以下の罰金であり(同法二三九条の二、二項)国家公務員法違反においては三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金である(同法一一〇条一項一九号)。もとより各法の立法目的は異なるであろうが、行為の目的・内容を同じくする二者については刑の均衡の面からいつても後者において定める特定の意義を前者において定める意味よりも広義に解すべきではないと考える」というにある。

右は要するに、公職選挙法において規制の対象となる選挙運動を特定の一人の候補者のためのものに限ると解したうえ、同法の定める法定刑と国家公務員法の定める法定刑とを比較し、後者の法定刑が重い以上、その規制の対象たる選挙運動は公職選挙法のそれより狭義のもの、またはより厳格なものでなければならないというところから右の結論を導き出したものの如くであるが、その論理はわれわれを納得せしめない。それは公職選挙法における選挙運動の誤つた解釈を基準として国家公務員法における選挙運動の意義を定めようとした点において、また僅かな法定刑の相違に合わせて構成要件の厳しさの程度を定めようとした点において誤りを犯していると考えられるからである。それよりももむしろ、原判決が、「もとより各法の立法目的は異なるであろうが」といつて重視しなかつた立法目的に照らして考えると、公職選挙法が、選挙の公明適正を目的とするその性質上、規制の対象とする選挙運動は、複数の候補者のための場合をも含むと解しなければならないのと同様、国家公務員法の政治的行為就中選挙運動的行為の制限規定も国家公務員の政治的中立性の確保を目的とするものであるその性質に照らし、複数の候補者のための選挙運動的行為をもその対象としているものと解すべきである。ぜなならば一人の候補者のために政治的行為をするも複数候補者のために政治的行為をするも、その間、政治的中立性を損う程度においては径庭がないからである。

原判決も「政治的目的一般としては特定の意味を確定の複数者とも解し得る余地はある」と述べているとおり、人事院規則一四―七、五項六項には、特定という用語を五項一号以外にも数個所使用しており、それらはいずれも「確定のひとつ」を意味するとは解されないのであつて、一個の法令中の同一用語は同一内容に解釈すべきであることからも、五項一号の「特定」に限つて「確定の一人」と解すべき謂われはない。原判決のように解すれば、例えば、選挙に際し、五項三号に定める「特定の政党その他の政治的団体を支持」する目的でその政党を支持する文書を頒布すれば国家公務員法一〇二条一項に該当するのに、その政党その他の政治的団体所属の候補者全員を支持する目的で、その候補者全員を支持する文書を頒布すれば、同法条に違反しないこととなる不合理を生ずる。

以上の理由により人事院規則一四―七、五項一号の特定の候補者とは確定の一人に限らず複数の候補者をも含むと解すべきであるのに原判決はこれを確定の一人と誤つて解した結果、国家公務員法一〇二条一項の解釈を誤り本件に同条を適用しなかつた法令違反を犯したものと思料する。

第二点 原判決が、候補者の「特定」の意義を確定の一人と限定すべきではなく、確定の複数者をも含むのが正当であるとした場合においても、本件被告人らの所為は可罰性がないとしたことについて

一 判例違反

原判決は、国家公務員法一〇二条一項、一一〇条一項および人事院規則一四―七の適用範囲を限定したことにおいて、最高裁判所の判例と相反する判断をしている。

国家公務員法による国家公務員の政治活動の制限と憲法との関係について判断を下した最高裁判所の判例として、昭和三一年(あ)第六三五号同三三年三月一二日大法廷判決(刑集一二巻三号五〇一頁)、昭和三一年(あ)第六三四号同三三年四月一六日大法廷判決(刑集一二巻六号九四二頁)が存する。

右の各大法廷判決の判例集掲載の要旨は、国家公務員法一〇二条は憲法一四条に違反しない、または、国家公務員法一〇二条は憲法一四条および二八条に違反しないとなつていて、そこには本件で問題とされている憲法二一条との関係があげられていない。しかし、右両事件の上告趣意は、ともに憲法二一条の表現の自由を公務員なるがゆえに奪うことになる国家公務員法一〇二条は憲法一四条に違反しているという論理構造をとつているのであるから、その主張の中心はむしろ憲法二一条関係にあつたともみられるのである。つまり、国家公務員法一〇二条、人事院規則一四―七に定める政治的行為の制限は、国家公務員の政治的自由に対するものとして、憲法二一条一項に定める表現の自由の制限にふくまれるのであるが、その制限が不合理であれば憲法一四条に定める平等原則違反となるという関係から、憲法一四条の問題が前面に出されたものと考える。右のような構造を持つ主張に対し、右各大法廷判決は「公務員は、すべて全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者でないことは、憲法一五条の規定するところであり、また、行政の運営は政治にかかわりなく、法規の下において民主的且つ能率的に行なわれるべきものであるところ、国家公務員法の適用を受ける一般職に属する公務員は、国の行政の運営を担任することを職務とする公務員であるから、その職務の遂行に当つては厳に政治的に中正な立場を堅持し、いやしくも一部の階級若しくは一部の政党又は政治団体に偏することを許されないものであつて、かくしてはじめて一般職に属する公務員が憲法一五条にいう全体の奉仕者である所以も全うせられまた政治にかかわりなく法規の下において民主的且つ能率的に運営せられるべき行政の継続性と安定性も確保されうるものといわなければならない。これが即ち、国家公務員法一〇二条が一般職に属する公務員について、とくに一党一派に偏するおそれのある政治活動を制限することとした理由である」とし、国家公務員法一〇二条一項による公務員の政治的行為の規制を是認し、その規制により国家公務員の政治活動の自由が一般国民と差別されることとなつても、それは「合理的根拠にもとづくものであり、公共の福祉の要請に適合するものであつて、これをもつて所論のように憲法一四条に違反するとすべきではない」としたものであるから、実質は憲法二一条の表現の自由に関し、国家公務員法一〇二条の制限の合理性のあることを論じたものと解することができるのである。そして、右各大法廷判決の事件は、いずれも一職般の国家公務員が特定の候補者を支持し、その当選を得しめる目的をもつて選挙人に金銭を供与した事案であるところ、第一審判決が被告人に対し公職選挙法の罰則とともに国家公務員法一一〇条一項を適用して刑罰を言い渡し、第二審判決がこれを支持したのを最高裁判所が是認したものであるから、一般職に属する国家公務員が国家公務員法一〇二条一項、人事院規則一四―七に規定する政治的行為の制限に違反した場合、これに国家公務員法一一〇条一項を適用して処罰しても憲法に違反しないことを示したものといいうる。

このことは、昭和二三年(れ)第四〇〇号同年一二月一日最高裁判所大法廷判決(刑集二巻一三号一、六六一頁)が、裁判所は、法令に対する憲法審査権を有し、もしある法令の全部または一部が憲法に適合しないと認めるときはこれを無効としてその適用を拒否することができるとともに、有罪の言渡しをなすにはその理由において必ず法令の適用を示すべき義務があるものであるから、当事者においてある法令が憲法に適合しない旨主張した場合に、裁判所が有罪判決の理由中にその法令の適用を挙示したときは、その法令は憲法に適合するものであるとの判断を示したものにほかならないとした趣旨に徴しても明らかである。

原判決は、本件被告人らの所為の可罰性を論ずるに際し、国家公務員の政治的目的を有する政治的行為についていわば一般的禁止を規定する国家公務員法、人事院規則の法条は憲法二一条の定める言論の自由の立場から合憲的に解釈されねばならないとし、その観点からの解釈の帰結として、非管理職の公務員の勤務時間外、勤務庁施設外の、公務員の地位または職務に関連性のない行為は、たとえ政治的目的を有する政治的行為であつても、国家公務員法の定める政治的行為の禁止に違反しない旨判示し、国家公務員法一〇二条一項、一一〇条一項および人事院規則一四―七の適用範囲を限定している。

しかしながら、さきに考察した最高裁判所の判例は、実質的にみて憲法二一条の表現の自由に関して国家公務員法一〇二条の制限の合理性を論じ、国家公務員法および人事院規則の法条に規定する政治的行為の制限に違反した場合、これに国家公務員法所定の罰則を適用して処罰しても憲法に違反するものではないことを示し、しかもそこには関係法条の適用範囲を限定する趣旨は全く窺えないのであるから、原判決の適用範囲限定説が前掲最高裁判所の非限定的見解と相反することは明らかである。

二 法令違反

原判決は、国家公務員法一〇二条一項、一一〇条一項および人事院規則一四―七の解釈適用(適用範囲の限定)を誤り、かつ、刑法の解釈適用をも誤つているのであつて、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであり、かつ、この点において原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。

(一) 国家公務員法一〇二条一項、一一〇条一項および人事院規則一四―七の解釈適用(適用範囲の限定)の誤りについて

1 原判決は国家公務員法による国家公務員の政治的行為の制限について、「いわば一般的禁止を規定する国家公務員法、人事院規則の法条は憲法二一条の定める言論の自由の立場から合憲的に解釈されねばならないのであつて、この観点からすれば、国家公務員の処罰の対象となる政治的行為は、それが国家公務員としての立場換言すれば国家公務員の地位に基づく行為でなければならない。」「蓋し、一私人としての行為まで国家公務員であるが故に処罰されなければならない理由はない。」と判示する。

しかしながら、一私人としての行為か国家公務員の地位に基づく行為かは必ずしも明瞭に区別し難いばかりでなく、原判決はその区別の基準として①裁量権のある管理職の地位にある者の行為であるか否かとか、②勤務時間内の行為であるか否かとか、③勤務庁施設内の行為であるか否かとか、④公務員の地位又は職務に関連する行為であるか否かということを挙げているが、④の基準は公務員の地位に基づくということの同語反復であつて区別の基準となり難く、①ないし③の基準、殊に①の基準のごときはある公務員の行為が一私人としてのそれか公務員としてのそれかに全く関係がない。なぜならば、裁量権のある管理職の地位にある者の行為にも一私人としてのそれと公務員の地位に基づくそれとがあるからである。

原判決は、右のような論理的でない基準から率然として「非管理職の公務員の勤務時間外、勤務庁施設外の公務員の地位又は職務に関連性のない行為は、たとえ政治的目的を有する政治的行為であつても、国家公務員法の定める政治的行為の禁止に違反しない」との結論を導き出しているのである。その結論がわれわれを納得せしむるに足りないことはいうまでもない。

なお、原判決は、①人事院規則一四―七、四項が勤務時間外の行為をも処罰の対象としていること、②同一四―七、六項一号に職名、職権又はその他の公私の影響力利用を政治的行為としていること、③公職選挙法一三六条の二が公務員の地位利用という合理的な理由により選挙運動として政治活動を制約していること、④国家公務員法の罰則の法定刑の重いことなどの反面解釈として「非管理職の公務員の地位に基づかない行為を除外する趣旨である」ことが窺われるとするのであるが、これもまた論理的でない。原判決の右判示の趣旨を推察するに、右①②は文字どおり解すると規制の範囲が広くなりすぎるという理由として挙げられたもの、④は刑罰が重い以上規制の対象は狭くなくてはならない理由として挙げられたものと思われ、その場合の限定基準として類似行為を対象とした公職選挙法一三六条の二の規定を取り上げたものではないかと思われる。しかしながらこれらの規定の「反面解釈」として右判示の結論が出てくるとは到底考えられないのである。

2 法律は文理的にのみ解釈すべきではなく、可能なかぎり、憲法の精神に即し、これと調和しうるよう合理的に解釈されるべきであるとする原判決のごとき思考方法は、明確な解釈基準を画することが可能な場合にのみはじめてその正当性を主張しうる性質のものであるところ、原判決のなす限定解釈のための基準は、前述のごとく非論理的であるばかりでなくきわめてばく然とした、抽象的なものにすぎないのであつて、これをもつて法解釈の指針とすることは不可能というべきである。

原判決の解釈は、ひつきよう、合憲的解釈の名の下に、国家公務員法および人事院規則の法条に恣意的な限定を施したものといつても過言ではなであろう。

3 いうまでもなく憲法二一条の保障する表現の自由は、国民の基本的人権のうちでも最も重要な権利の一つであつて、最大限に尊重しなければならないのであるが、右の自由も絶対無制限でなく、他の法益ないし公共の福祉のため制限されることがあるのはもちろんである。そして、右の表現の自由に由来するとされる政治活動の自由についてもこのことは当然妥当するといわなければならない。憲法一五条二項は「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」と規定しているが、これは政治にかかわりなく法の下において民主的かつ能率的に運営せられるべき行政の継続性、安定性を確保するため、公務員は、その職務の遂行にあたつては厳に政治的に中正の立場を堅持し、いやしくも一部の階級もしくは一派の政党又は政治団体に偏することを許されず、公務の公正、中立性を維持しなければならないことを要請したものと解されるのである。

そして、ここで公務の公正、中立性という場合、職務を執行する公務員による特定の政党の利益を図つた具体的、直接的な公務の不公正な運営が、右の公務の公正、中立性を害する代表的なものといえることもちろんであるが、公務の公正、中立な運営についての一般国民の信頼ということをも見逃すわけにはいかない。行政は、管理職の職務も非管理職の職務も、すべて一体となつて遂行されるものであるから、国民からみれば、管理職にある者も非管理職にある者も一体となつて行政が行なわれていると考えるであろう。そうであるならば、公務員の一党一派に偏した政治活動が行なわれた場合、その公務員の地位や権限の如何を問わず、国民に対し、当該公務員の関与する公務の公正のみならず、当該公務員の属する公務所の公正、さらには、国の行政一般の公正に対する不信、疑惑をいだかせることになる。そして、その不信、疑惑が、行政の円滑な遂行、安定性に対していかに大きな弊害をもたらすかは容易に推測しうるところである。このように、国家公務員は主権を有する国民全体に対する奉仕者であつて、一部の国民に傾斜した奉仕をしてはならないものであり、国家公務員の一人一人が、そしてその勤務する官署全体が国民の総意の命ずるところによつてその職務を行ない、一部のためにかたよつた行動に出てはならないのはもちろん、一部のためにかたよつた行動をする疑いを持たれるような行為をしてもならないのである。国家公務員法一〇二条、人事院規則一四―七が一般職国家公務員にかなり広い範囲にわたつて政治的目的のもとに行なう政治的行為を禁止しているのもそのためである。

これをさらに、本件で問題となつている国家公務員の選挙活動についてみてみると、選挙は、国民が主権者としての権限を行使する場合の典型であり、国家の政治の根幹を決めるものであるから、殊の外公正に行なわれなければならない。国家の政治に携わる公務員が選挙運動に関与するならば、自らの利益となる立法府をつくろうとしているのではないかとの疑惑を生じさせ、政治に対する不信を招くことになろう。これは公務員の全体の奉仕者性に反する。そして国家公務員は国家の機関の一員であり、全国的なつながりをもつ組織の一員としての地位にあるといえる。その組織としの規模は、民間企業のそれのはるかに及ばないところである。このように、容易に組織を利用しうる公務員に対し政治的活動を許すならば、その影響するところははかりしれず、一般国民に与えられている政治活動の自由以上の力が公務員に付与されることになり、殊に選挙運動においてはそれが著しいものとなろう。これは公務員の全体の奉仕者性にもとることはなはだしいといわざるをえない。

以上の考察からすれば一審判決が次のように判示しているのはまことに妥当な判断というべきである。すなわち、同判決は、国家公務員が選挙にあたつて特定政党のための選挙活動をすることは、一般国民に対しその公務員の勤務する行政官庁が特定の政党とつながりを有するのではないかとの疑惑を持たせ、ひいては当該官庁の行政の公正な運用について一般的不安、不信をいだかせることになるとし、被告人らの行為がたまたま文書の配布のようなことであつても、選挙活動というのは文書の配布にとどまらず、いろいろな態様のものに発展することがありうるわけであつて、たとえば公務員が主催して特定政党、特定候補者のための公開の演説会を主催することも可能であること、一の政党の支持者にできることは他の政党の支持者にもできなければならないこと、そしてそれは全国的のあらゆる行政官庁の公務員にもできなければならないことであること、各種選挙のたびにその効果が累積されていくこと等を考え合わせてみると、公務員の選挙活動を放任した場合そのことが行政官庁の公正な運営について一般的に国民に与える不安・不信感等は軽視することができない。そしてこの観点に立つて考えると重要なのはむしろ当該公務員の勤務する行政官庁全体の性格であつて、個々の公務員の担当職務か、大なり小なり裁量権限のあるものか、それの全くない機械的事務であるかどうかは重要ではなく、ことに実際に行なわれる選挙活動の内容、程度とも不可分のことであつてみれば、下級の公務員についてもこれを考慮の外に置くことは直ちに是認できないことであるとしなければならないとし、公務員が特定政党または特定の候補者のために選挙活動をすることを放任した場合に生ずる弊害として考えられるものは一でないとしても、その中で最も重視すべきものは、一般国民に対し行政官庁の公正な運営について一般的に不安・不信・疑惑をいだかせるに至ることであり、その弊害を避けるために憲法一五条二項の規定による要請として、憲法二一条の保障する表現の自由にある程度の規制を加えることは合理的な理由のないことではなく、右弊害が軽視できない程度のものであり、現行法の下においても公務員またはその組合に容認されている選挙活動の程度をも合わせ考えれば、少なくとも、本件についてその適用をみることとなる国家公務員法一〇二条一項、人事院規則一四―七、五項一号および六項一三号中文書の配布に関する程度の規制は、必要最小限度の規制に属し、さらにそれが一般国民にかかわる問題であつて行政官庁の単なる内部事項として処理さるべき事柄ではないことを考え合わせると、その違反行為に対し刑罰の制裁をもつて臨むことも、理由のないこととはいえないとしているのである。

このように見るかぎり、国家公務員法および人事院規則による政治的行為の制限が、行為の主体、行為の場所、勤務時間内か否か等と直接関係がないことは当然といわねばならない。

4 以上により明らかなとおり、原判決のなした国家公務員法一〇二条および人事院規則一四―七の限定解釈は非論理的であり恣意的であつて、しかも基準の明確性を欠き到底これを支持することを得ないものである。

本件被告人らの所為は、すでに第一点において述べたように公職選挙法に違反するものであり、しかも原判決においても認めざるを得なかつたように勤務時間に近接し(第一審判決もいうとおり出勤簿に出勤の捺印をした後であるから、むしろ勤務時間内というべきであろう)、勤務庁施設内で行われたものであるから当然右国家公務員法および人事院規則の規制の対象たる所為であるといわなければならない。その意味で本件第一審判決を正当とし、原判決は誤りであると思料する。

(二) 原判決の可罰性に関する判断の誤りについて

原判決は、最後に、被告人らの具体的行為に考察を加え、被告ら人の行為はその行為の態様として勤務時間に近接し、勤務庁施設内において行なわれたものであるから、このかぎりにおいては、国家公務員の立場に基づく政治的行為といわざるをえないとしながら、行為の主体の面からいえば、被告人らはいずれも裁量権のない機械的職務に従事する非管理職の公務員であり、行為の態様としては、組合の候補者推薦決定を内容とする文書の配布で、その方法は組合の日常活動としてとられていたいわゆる朝ビラの配布であるから、たまたまその行為が形式上政治的行為に該当するにせよ、組合活動に随伴する行為として違法性は低いのみならず、配布文書の枚数もそれぜれ六枚ないし一四枚にとどまり、しかも各同僚に対する配布であつて、被告人らの主観においても、割り当てられた組合の日常行動としての意識が主潮をなすもので、違法性の認識において軽度のものというべきであるから、以上を総合するとき、被告人らの所為は社会生活上行為の通常性を有するものであつて、実質的違法性を欠き、刑罰をもつて処断するに値する行為とは認めがたく、結局被告人らの所為は国家公務員法一一〇条一項一九号にあたらないとし、次いで右の理は被告人らの所為の公職選挙法二四三条五号該当性についても妥当し、たまたま被告人らの所為が形式上公職選挙法一四六条一項に該当するにせよ、その行為の態様、被告人らの主観において行為の通常性を有し、実質的違法性を欠き、被告人らの所為は公職選挙法二四三条五号に該当しないと判示し、結論において被告人らの本件所為をもつて罪とならないとするものであるが、被告人らの所為は国家公務員法一〇二条一項、一一〇条一項一九号ないし公職選挙法一四六条一項、二四三条五号所定の構成要件を充足はするが違法性が阻却されるというのか、構成要件該当性そのものが否定されるというのであるか必ずみも明らかとはいえない。

しかしながら、何れにせよ、本件は構成要件該当性はもちろん判示のいう実質的違法性を否定せられるべき事案ではない。

1 国家公務員法違反について

原判決は、行為の主体の面からいえば被告人ら三名はいずれ裁量権のない機械的職務に従事する非管理職の公務員と見るべきであるとして、本件所為の違法性の低いことの理由づけにしているが、さきに述べたように、国家公務員法、人事院規則が国家公務員の政治的行為を制限する理由の一つは、行政の公正に対する国民の不安・不信の防止という点にあり、公務所ないし全体としての公務の公正な運営に対する国民の不安・不信の醸成という点においては、管理職にある公務員の政治活動であると非管理職にある公務員の政治活動であろうと変わりないのであり、本件に即してみても、被告人らが勤務する総理府統計局は、国その他地方公共団体等の施策樹立の基礎となる統計の仕事を管掌し、内閣総理大臣を長とする国家行政組織法上の行政機関たる総理府の一部局であつて、客観性、中立性を要請されている中央行政官庁であり、そこに勤務する公務員が特定の政党または特定の候補者のために選挙活動をすることは、一般国民の側に行政官庁の公正な運営について不安・不信・疑惑をいだかせることが大きいといえる。したがつて、原判決のいうように裁量権のない非管理職の公務員の行為であるがゆえに違法性が低いというのは当たらないといわねばならない。

次に原判決は、行為の態様としては組合の候補者推薦決定を内容とする文書の配布であつて、その方法は組合の日常活動としてとられていたいわゆる朝ビラの配布であり、組合活動に随伴する行為として本件は違法性が低いとするのであるが、本件教宣ニュースなる文書の配布が、まさに組合の候補者推薦決定を組合員に告知することのみを目的とし、組合員にのみ告知する方法として行なわれた、いわば内部的な組合活動に過ぎないのであるならば、それは選挙運動といえず、公職選挙法にも国家公務員法にも触れないことになる。

しかしながら、本件教宣ニュースの頒布は、一審判決のいうように相手が組合員であると否とを問わず無差別に行なわれ、組合員数が約四〇〇名で、毎回印刷される枚数が一八〇〇位、そしてそれが大部分配布され終る例であつたことにかんがみ、むしろ、同じ統計局職員であつても組合員でない者に対する宣伝の意味が強いと見られるので、組合の活動の一環として行なわれたとしても、そのゆえに違法性が低いということはできないといわなければならない。

さらに、原判決は、被告人ら自身の主観においても、割り当てられた組合の日常行動としての意識が主潮をなすものであるから違法性の認識において軽度であると判示するが、いかに割り当てられた組合の日常行動としての意識が主潮をなすといつても、一審判決認定のように、その内容、意義を理解して本件教宣ニュースの配布の任にあたつたものである以上、一概に違法性の認識において軽度であるとはいえない。

以上のとおり、被告人らの本件所為が国家公務員法一〇二条、人事院規則一四―七の規制を受ける政治的行為に該当しながらその可罰性を否定されるべき理由はどこにも見いだしえないというべきである。

2 公職選挙法違反について

原判決は、前記の国家公務員法違反についての原判決の考え方が、そのまま被告人らの公職選挙法違反の点についても妥当するとし、「たまたま被告人らの所為が形式上公職選挙法一四六条一項違反に該当するにせよ、その行為の態様、被告人らの主観において行為の通常性を有し、実質的違法性を欠き、被告人らの所為は公職選挙法二四三条五号に該当しない。」と判示するのであるが、国家公務員法違反の点についての原判決の判断が誤りであることが既に詳述したとおり明らかである以上、同一の理由により公職選挙法違反の成立も否定されるとする原判決の判断は、すでにその前提において誤りを犯しているばかりでなく、そもそも国家公務員法による国家公務員の政治的行為の規制違反と脱法文書頒布という公職選挙法違反とは、本件における被告人らの具体的行為に適用される限りいわゆる観念的競合の関係に立つものであるとはいえ、それぞれの法律が立法趣旨を異にしている以上、可罰性の有無を判断するについても個別になさるべきであり、一方についていえることがそのまま直ちに他方にも及ぼしうるという関係のものではないと考えられるのであつて、その意味で原判決が、なんの説明もなく、唐突に国家公務員法違反の可罰性を否定した理由をそのまま援用し、「この理は、被告人らの所為の公職選挙法二四三条五号該当性についても妥当し」と判示したことは理解に苦しむところである。

殊に原判決が、国家公務員法違反につき被告人らの所為が「社会生活上行為の通常性」を有することを実質的違法性を欠く根拠の一つとし、それをそのまま公職選挙法違反についてもその実質的違法性を欠く一つの根拠としている点は、公職選挙法、就中脱法文書頒布行為規制の意味を理解しないものというべきである。もつとも原判決のいう「社会生活上行為の通常性」の意味は必ずしも明確でないが、われわれの社会生活において普通に行なわれているという意味であるとすれば、公職選挙法一四六条一項の規定は、国民の日常生活、社会生活あるいは組合活動等において一般的になんら禁止されることなく行なわれている行為であつても、法定の選挙運動期間中は選挙運動として行なわれるかぎりこれを規制しようとするものであるから、原判決がいうごとく「社会生活上行為の通常性」を有するがゆえに実質的違法性を欠くとすることは立法目的を没却することになるのである。

以上のとおり、被告人らの公職選挙法違反の点についても、可罰性を否定する合理的理由は存しない。

第三 結語

以上の次第であつて、原判決は、最高裁判所ならびに高等裁判所の判例と相反する判断をし、また、法令の解釈適用に重大な誤りを犯してそれが判決に影響を及ぼすことが明らかであり、かつ、右法令違反は原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるのであるから、原判決はとうてい破棄を免れないものと思料する。        以上

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